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おねえちゃんはミラクルガール・真夏の第九 真夏の第九

真夏の第九


 増山権太郎少尉が死んだのは二十年ほど前だ。ちょうど、この高射砲が大改造されたころだ
と思う。権太郎少尉とむすこの権吉さんは、ふたりで協力して、高射砲の自動化をなしとげた
のだ。
 当時としては、最新のコンピュータを使って、より簡単に動かせるように改造した。倉持君
によれば、もともとの高射砲は、子どもに撃てるようなしろものではないらしい。
 とにかく、ぼくは倉持君といっしょに、弾道計算のプログラムを見ていた。白黒のモニター
に放物線が映しだされている。世田谷公園に破片を落下させるための、発射角度、爆発高度を
いろいろとためしているのだ。
 おねえちゃんが、別の部屋から飛びこんできた。
「レコードがあったよ。『ベートーヴェン交響曲第九番・合唱つき』。CDじゃないんだね。」


 歓喜よ、神々の麗しき霊感よ
 天上の楽園の乙女よ
 我々は火のように酔いしれて
 崇高な汝の聖所に入る

 汝が魔力は再び結び合わせる
 時流が強く切り離したものを
 すべての人々は兄弟となる

 抱き合おう、もろびとよ!
 この口づけを全世界に!
 兄弟たちよ、この星空の上に
 父なる神が住んでおられるに違いない

 もろびとよ、ひざまずいたか
 世界よ、創造主を予感するか
 星空の彼方に神を求めよ
 星々の上に、神は必ず住みたもう


 解説を読むと、フルトヴェングラーというひとが、1951年に指揮したと書いてある。よく知
らないが、有名な指揮者じゃないだろうか。
「おねえさま。こっちにプレイヤーがありますわ。」
 ユカちゃんによばれて、おねえちゃんは、小さなドアをあけた。
「ははあ。今まで、この洋館に流れていた音楽は、ここから流されていたんだね。」
「そうですね。あちこちにスピーカーがありますもの。」
「ところで、レコードって、どう使うの?」
「わたしも知りません。」
 ふたりが悩んでるところに、トシキが通りかかった。
「あ、これかけてよ、トシキ君。」
「へっ?」
 彼はレコードをうけとり、セットして、スイッチを入れた。ターンテーブルがぐるぐる回り
だした。
「わあ、すごい。」
「で、そのあとどーすんの?」
 トシキはこまった顔をした。やがて思い出したらしく、アームを持ちあげ、慎重にレコード
の“まん中”に針をおろした。
「音がしないね。」
「なんでだろう。」
 ぼくは少しいらいらしてきて、声をあげた。
「はじだよ!」
「あ、そうか。」
 トシキはレコードのはじっこに針をかけなおした。
 とたんに音が出た。
「テンポがちがうんじゃない?」
「なんでしょう。きゅるきゅるいってるわ。」
「45じゃなくて、33回転にするの!」
 ぼくはまた声を出した。
 だれかスイッチを切りかえたらしく、まともな音楽が聞こえてきた。
「ケンジ、あんたくわしいねー。」
「学校の放送室にあったでしょ。」
「ふうん。」
 倉持君は、数値をあれこれ変えている。グラフが、世田谷公園までの距離に、ぴったりの位
置に来る数値を探しているのだ。
「この数字。どう思う? ケンジ。」
「これしかないと思うよ。」
「問題は風むきだなあ。」
 今夜は微風だ。ほとんど風がない。レーダーで雲の動きから上空の風を観測しているのだが、
現在のデータはほとんど無風に近いと出ている。だが、この状態はいつまで続くかわからな
い。
 時計を見ると、午前二時をまわっている。日付が変わったので今日は八月十五日だ。そうい
えば、終戦記念日だなあと、ぼくはぼんやり考えた。
「キミたち。計画はまとまったかね?」
 おねえちゃんが、後ろからぼくらの肩をたたいた。
「数字は出た。撃つのなら、今この状態がベストだよ。チャコさん。」
「ようし決まった! 十分後、午前二時半に砲撃開始するよ。総員配置につけ!」
 あちこちで、「了解」の声が飛んだ。
 ユカちゃんがレコードをかけ、ベートーヴェン第九番第4楽章がはじまった。まだ合唱はな
い。オーケストラの低音が、不気味に洋館に鳴りひびく。
 おねえちゃんが、壁についてる小さなレバーを下げた。
「それなに? おねえちゃん。」
「こうすれば、玄関の扉にカギがかかるんだって。もう、だれにもじゃまされないわけ。」
「あ……そう……。」
 本当に撃つのだ。撃ってしまうんだ。ぼくの背中がびりびりと緊張してきた。
 倉持君は、少尉――増山権吉さんが立っていた場所にいて、機器をのぞきこんでいる。
「ケンジ。データを報告しろ。」
 ぼくはモニターの数値を読み上げた。
「風速〇・一、風向東北東、気温二十四度、湿度六十五、すべて異常なし。」
「目標、高度二千四百、方位西南西、仰角83。」
「了解、方位西南西、ドーム回転します。」
 有名なメロディがしだいに高まってきて、室内がコンサートホールのように反響した。
 トシキが壁のハンドルを回した。天文台のドームのような天井が、ゆっくりと回転をはじめ
る。
 続いて、砲自体もゆるやかに動いて、西南西へ向いた。
「ドーム回転終了」
 みんながおねえちゃんを見る。
「安全装置を解除。ホントに撃つよ!」
 みんなの間に、ものすごい緊張感が走った。一瞬の静けさ。それから、男性の独唱が、ドー
ム内にろうろうとひびいた。第九の合唱のはじまりだ。
「安全装置確認、解除します。」
 ユカちゃんが床のレバーを、半回転させて押しこんだ。
「自動装填開始」
 混声合唱がはじまった。年末によく聞くあまりにも有名な合唱だ。砲弾の一つが台に乗って
せり上がってくる。高射砲の下の部分にスライドされ、砲の中に押しこまれた。
「ドームを開けろ。」
「ドーム開きます。」
 トシキが別のハンドルを回した。ドイツ語の大合唱にあわせて、屋根がまっぷたつに割れて
開いていく。
「模擬照準自動追尾、コリオリの力、入力されていきます。計算終了、発射準備完了しました。

 ぼくの声で倉持君が、おねえちゃんを見た。ここにいる全員が、おねえちゃんを見ている。
 時計は二時半をさし、歌声はピークにたっした。神よ。兄弟たちよ!
「発射あ!」
 おねえちゃんがさけび、倉持君がスイッチを入れた。
 轟音とともに、高射砲が振動した。
 煙がすごい。耳がバカになりそうだ。
 直後、はるか上空で何かが光り、雷鳴のような爆発音が聞こえてきた。成功だ!
「やった!」
 おねえちゃんが、煙をはらいながら、西南西の夜空を指さした。
「第二弾が装填されていく!」
 トシキの声で、ぼくらは下を見た。
 なおも合唱はつづいている。アームが二発目の砲弾をすくいあげ、有名な旋律にのって、高
射砲へ装填されようとしていた。
「バカな!」
 倉持君はさけんだ。一条ユカは安全装置を引き上げようとするが、びくともしない。
 どうにもならない。倉持君はあれこれ機械をいじったが、第二弾は装填された。
 おねえちゃんが、両手で耳をふさいだ。みんながまねをした。直後、ものすごい音がして、
第二弾は発射された。
「また動いている!」
 トシキがさけんだ。ドーム内に煙がたまってきて、視界が悪い。
 トシキとユカちゃんが安全装置にとりついたが、高射砲はどうしても止まらない。
 煙の中で緑色に光るものが見えた。おねえちゃんの胸のペンダントだ。
「おねえちゃん! カウストゥバが光ってる!」
「なんでよ!」
 恐ろしい音がして、第三弾が発射された。
 笛の音が聞こえ、曲は間奏のようなところに入っている。もう事態はめちゃくちゃだ。
 倉持君は機械をぶん殴っているが、高射砲は止まらない。おねえちゃんが部屋のすみのイス
をふりあげ、思いっきり、管制機械にたたきつけた。火花が飛び散り、どこかショートしたら
しく、配電盤が火を吹いた。
 火は壁紙に燃えうつり、炎がひろがった。そんな状態で第四弾が発射された。
 煙で、もう何も見えない。だれもが、ごほんごほんとせきこんでいる。
「逃げよう!」
 さけんだがはやいか、おねえちゃんはドアをあけて部屋の外に飛びだした。みんなで、ろう
かに転がり出て、リビングにむかうが、もうもうとした煙が追いかけてくる。
 次の砲弾が発射された音がして、みんな耳をふさいだ。リビングも煙が充満してしまい、全
員玄関のドアにとりついた。ところがドアがあかない。
 ノブをまわしても、押しても引いてもたたいても、ドアはあかない。
「おねえちゃん、さっきカギかけたじゃないか!」
「あっ、そうか。」
 そのとき、ぼくの口からマントラが出た。
「オーーーーン……、ハレー・クリシュナ・スタパティア・ハレー……シッディ・マハー・シッ
ディ!」
 まわりの空間がぐにゃりと曲がり、ぼくら五人は、洋館の外の住宅街に放り出された。
「で、出られた。」
「なんで、なんで?」
 ユカちゃんが、せきこみながら聞いた。みんなごほごほとむせている。
「あ、あれ!」
 おねえちゃんが、目の前の洋館を指さした。ドームの部分が燃えあがっている。完全な火事
だ。
 また砲弾が発射された。ドームの屋根から煙があがり、振動が外まで派手につたわってくる。
 近所の住民たちが、何十人も見物している。だれもかれも、何ごとが起こったのかわかりか
ねて、ぼうぜんと洋館を見ている。
 ぼくは音楽が鳴りひびいているのに気がついた。第九の歌が、住宅地全体にひびきわたって
いる。どう考えても防災無線からの音だ。理屈はわからないが、レコードの音が、防災無線か
ら出ているのだ。
 池尻一帯、いや、世田谷全体で、第九の歌が鳴りひびいているのかもしれない。
 おねえちゃんの“カウストゥバ”は、ますますあやしく光り、このとんでもない怪現象の原
因であることを証明している。
 再びあの有名な大合唱になった。男女の混声合唱が、神と人類愛の喜びを歌い上げている時、
またしても砲弾は轟音とともに発射された。
「ど、とうなっちゃうの。」
 おねえちゃんはショックをうけている。
「砲弾を撃ちつくす前に、火事の火がまわったら、地上で砲弾が爆発する。」
 倉持君が、ごくりとつばを飲みこんだ。
「爆発したらどうなるの。」
「あたり一帯の住宅地が吹っ飛ぶ。何人死ぬかわからない。」
 それっきり倉持君は、自分のことばに固まった。
「みんな、246へ!」
 おねえちゃんは、みんなをつついて、大通りへ出た。
「ケンジ。砲弾は何発あったっけ?」
「十三発。」
 ぼくらは小声で話した。
 防災無線の歌は、賛美歌みたいになり、神々しいまでの声がひびきわたる。パトカーと消防
車のサイレンが聞こえてきた。
「タクシーを止めよう。」
 おねえちゃんは、指を三本立てて、タクシーをひろおうとした。ぼくの口からマントラが出
た。
「オーーーーーーーン……サハ・ナーヴァヴァトゥ・サハナウ・ブナクトゥ・ハレー・シャク
ニ(賭けごとの神)!」
 ブレーキ音が聞こえ、たてつづけに三台のタクシーが止まった。
「なに? なんなの?」
「こんな夜中に三台も? ものすごい確率だぜ。」
 ユカちゃんとトシキが、びっくりしている。
 また、洋館の方から発射音が聞こえた。
「十二発目だ。おねえちゃん。」
「無事に全部発射されますように……。」
 おねえちゃんは、みんなのほうをふり返った。
「いい、みんな。あたしたちがここで会っていたことは誰も知らない。誰にも言っちゃいけな
い。わかった?」
 ユカちゃんもトシキも倉持君も、みんなうなずいた。
「このあと絶対、連絡を取りあってもいけない。とにかく、ここであったことは忘れるの。」
 誰もかれも悲しそうな顔をした。無理もないと思う。だけど、これから警察とかが、この怪
事件を調べるのだ。犯人がぼくらだと、絶対ばれてはいけない。
 十三発目の発射音がした。
「はあ~~~~。」
 おねえちゃんと倉持君が、同時に気がぬけた顔をした。
「最悪の事態は避けられたね。ユタカ。」
 倉持君はうなずいた。顔がまっ青だ。
 おねえちゃんは、トシキをタクシーに押しこんだ。
「いい? 遠くへいっても元気でやるんだよ。あっちは寒いから気をつけて。」
「えっ? おれの引っ越しのこと、知ってんの? 不思議なひとだなあ。」
 続けて、倉持君を別のタクシーに押しこんだ。
「お金、持ってる?」
「自分ちまでなら、だいじょうぶだ。」
「あんた、将来技術者になって、でっかいことをやるよ。きっと。」
 いわれた倉持君は、めずらしく照れた顔を見せた。彼のあんな顔を見たのは、はじめてだっ
た。
 さらに一条ユカを、これまた別のタクシーに乗せた。
「おわかれなの? おねえさま。」
 ユカちゃんは、泣きそうな顔だ。
「ユカちゃん。こんなことばがあるよ。“会うは別れの……”……ええと、なんだっけ?」
「“始め”だよ。おねえちゃん。」
「そうそう、“会うは別れの始め”だよ。別れのときは必ずくるの。」
 おねえちゃんにしてはいいことをいう。
「元気でね。ユカちゃん。」
「はい。おねえさま。ケンジくん。」
 ユカちゃんは、ぼくのほうを見て、涙をぬぐった。この美少女とも、もう会えない。
 そのとき、またしても砲弾を発射する音が聞こえた。
「ケンジ!」
「ごめん! 数えまちがえてた!」
「タクシー、発進して!」
 おねえちゃんの合図で、三台のタクシーが動き出した。それぞれ、羽根木、豪徳寺、成城へ
むかうのだ。
 別れた三人は、二度と会うことはないだろう。

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