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おねえちゃんはミラクルガール・新世界より プロローグその1

プロローグその1

 国道二百四十六号線は246(ニイヨンロク)とよばれている。都心から渋谷を経由して世
田谷をつっきり多摩川をわたる、東京の動脈だ。これから語るのは、その246で起こった不
思議な出来事の話だ。

※作者注・このプロローグは「真夏の第九」と全く同じです。
 そちらを読んでる方は、すっとばして「プロローグその2」へ行って下さい。
   ***

 うちには三通のパスポートがある。一通はパパのものだが、べつの一通はぼく、月波健二の
もの。もう一通はおねえちゃん、月波久子のものだ。
 あれはまだ、パパがリストラされる前のことだった。仕事でインドへと旅行するパパに、ぼ
くとおねえちゃんがついていくことになったのだ。早いうちに外国を見せたいという、パパの
方針――というかきまぐれだった。
 それに対してお母さんは……あ、どうでもいいことだが、パパはパパだが、お母さんはお母
さんとよばれている。で、お母さんは、
「絶対だめです! チャコとケンジに何か事故でもあったらどうするんですか。」
と、反対した。チャコというのはおねえちゃんのことだ。このころはおねえちゃんもいまほど
ケバくなくって、子ども用コスメセットを買ってもらったばかりだった。
「心配ならいっしょに君もくればいい。ぼくもそのほうが安心だ。」
 パパはいったが、お母さんは旅行がきらいで、ましてや飛行機にのるなんてとんでもないこ
とだった。
 結局、三人がかりでお母さんを説得した結果、
「かってにしなさい!」
ということばを引き出した。
 おねえちゃんは、とてもよろこんだ。
「やったあ! 本場のビーフ・カレーが食べられるーっ。」
 おねえちゃん、インド人は牛は食べないんだよ……。
 ぼくら一行はインドに着くと、バンガロールという町にむかった。パパはその町で仕事をす
ませ、こんどはカルカッタにぼくたちを連れて行った。インドに来たからにはガンジス川を見
せたかったのだそうだ。
 大勢の人たちにまじって川を見物した帰りに、ぼくらはひとりのお坊さんに出会った。はだ
しで、ぼろぼろの衣服を着て、ひげをはやしている。そんな人はインドにはいくらでもいたが、
この人は足どりがあやうかった。
 お坊さんは、ふらっとよろけ、からだがかたむいた。
「あぶないっ!」
 とっさに、パパが体をささえた。
「病院に連れて行ったほうがいいんじゃない?」
 ぼくは、お坊さんのやせこけたからだを心配した。
「いや、こういう人たちは、ガンジス川で死ねれば本望だと思っているからね。第一、救急車
をよんでも来てくれるかどうか……。」
 青い空に、ぽっかりと雲がうかんでいる。
「どこかで休ませたほうがいい。チャコはどうした。おーいチャコ。手を貸してくれ。」
 道からはずれた小屋のそばに、おねえちゃんがいた。
「この小屋、だれも住んでないみたいだよ。」
「そいつは都合がいい。さ、ケンジ、そっちの手をささえて。」
 そこは小さな小屋だった。そのときは無人で、部屋のすみに小さなかまどがあって、なべが
ころがっていた。
「そら、こっちのほうに寝てください……って、いっても日本語は通じないよな。ん? なん
だこの音は。」
 ぼくたち三人はそろって耳をすませた。
 すると、ぐーーー…という音がお坊さんのおなかから聞こえてきた。おねえちゃんが確認す
るように耳に手をあてた。
「この人、おなかがすいてるんだね。」
「よわったな。食べ物なんて何もないぞ。そのへんで売ってるかもしれない。さがしてくるか
ら二人でその人をみててくれ。」
 いいのこして、パパは出ていった。
 おねえちゃんは何か思い出したらしく、自分のリュックをさぐりだした。ひとつふたつ、ど
うでもいいものをとりだしたあと、レトルトのカレーが三つも出てきた。
「どうしたの? それ。」
「うん。こっちのカレーと食べくらべようと思って持ってきてたのを忘れてた。」
 いかにも、おねえちゃんらしい。
「よかった。とりあえず、それを食べさせよう。」
 おねえちゃんは何もいわずにむずかしい顔をしている。カレーが惜しいのだろうか。
 ぼくは残されたパパのリュックから百円ライターをとりだし、かまどに火をつけてみた。
(うまく燃えるかな……。)
と思ったが、あきれるほど簡単に火がついた。あとはなべに水だ。
 そのときは何も感じなかったけど、今から考えるとずいぶん不自然な状況だった。そばの水
がめには、使ってくださいといわんばかりに、たっぷりと水が入っていたのだ。
 とにかく、準備はととのった。あとはカレーをほうりこめばいい。だが、おねえちゃんのカ
レーをみて、ぼくは力がぬけた。
「おねえちゃん……。これ、ビーフ・カレーじゃないか。」
「うーん。そうなんだよねー。」
「インド人は……、ヒンドゥー教徒は、牛を食べちゃいけないんだよ。」
「聞いた。それ、まえに聞いた。」
「しかもこの人、お坊さんだよ……。」
「………………。」
 しばし間があったが、おねえちゃんは決然としていった。
「豚だの牛だのいってる場合じゃないでしょ。人の命がかかってんのよ命が!」
 長い3分間だった。
 なぜか用意されてあったおわんにカレーをうつして、これもなぜか用意されてあった木のス
プーンをのせた。おねえちゃんは口を真一文字にむすび、あごでぼくにさしずした。
 お坊さんは上半身を起こして待っていた。においでわかったんだろうか。
 ぼくは、(バチが当たらなければいいが)と考えていた。この場合、バチが当たるとすれば、
ぼくだろうか、お坊さんだろうか。おねえちゃんはからだを引いて、歯をむきだしにしてこっ
ちを見ている。バチなら、おねえちゃんに当たってほしい。
 お坊さんが食べはじめると、ぼくもおねえちゃんも手で顔をおおった。見てられなかったの
だ。だが、長くは続かなかった。お坊さんはあっというまに食べおわった。
「フーーーーーッ。」
 お坊さんは、満足そうなためいきをついた。
 ひと呼吸おいて、そのひとは立ち上がった。元気がでたらしい。外へと歩きだして、小屋の
戸口でふりかえり、ふところから何か出してぼくのほうにつきだした。
 ぼくが受けとったそれは、みどり色の宝石がついたペンダントだった。六角形の台座に大き
な石がついていて、上品で落ちついた光を放っている。
「カウストゥバ。」
 お坊さんはいった。
「えっ? カウストゥバっていうの、これ。お坊さん?」
 それには答えず、お坊さんはよろよろとガンジス川のほうにあるいていった。そして、一度
もふりかえらずに消えてしまった。
 ここで声を大にしていいたいのは、ペンダントをもらったのはぼくだということだ。おねえ
ちゃんではなく、ぼくなのだ。それをおねえちゃんが、
「男にペンダントはいらないでしょ。」
とかいって、ぼくからとりあげてしまったのだ。
 さて、そんなことがあったが、ぼくたち三人は帰国することになった。そのためには、一度、
インドの国内線でボンベイまで行かねばならない。ぼくたちが乗ったのは年代もののプロペ
ラ機で、なんだかあぶなっかしいしろものだった。
 あんのじょうというか、飛行中にとつぜん機内がゆれた。見ると窓のそとのエンジンが煙を
出している。乗客が気づいて騒ぎだし、女性客が悲鳴をあげた。
「オーーーーーーーン……。」
 そのとき、ぼくの口からあの神聖な音がもれだした。はじめてだった。
「シュリー・ガネーシャ(障害の神)・ナマハ。」
 パパがおどろいていった。
「マントラなんてどこで覚えたんだ。」
「マントラ?」
「真言《しんごん》ともいう。おまじないみたいなものだ。ああ、エンジン大丈夫かなあ。」
 パパと反対がわにすわっていたおねえちゃんに異変がおこった。目の色がみどり色に変わっ
ている。よく見ると、胸のペンダントが光っていた。おねえちゃんは立ち上がって、通路を前
のほうへ走り出した。ぼくはあわててあとを追いかけた。
 おねえちゃんは何かにとりつかれたように前へ前へと速度を上げていった。騒ぎに気づいた
副操縦士だろうか、だれかコックピットから出てきたとき、入れ代わるようにおねえちゃんは
その部屋へもぐりこんだ。
 ここから先は、おねえちゃんの記憶とぼくが目撃したのはくいちがっている。おねえちゃん
の記憶によると、なぜそんなことをしたのかはわからないけれど、両手を胸のまえにあわせ、
力をためて、計器類にむかっていっきに「気」をぶつけたのだそうだ。
 しかし、ぼくが見たのは、コックピットの機械を両手のこぶしでぼこぼこになぐって破壊活
動をしているおねえちゃんのすがただった。
 しばらくして客席のほうから歓声があがった。煙がおさまってエンジンが正常になったのだ。
ぼくたちは操縦室のそとにつまみだされた。
 パパがかけつけた。
「そこで何をしてたんだチャコ。よろこべ。エンジンが自然になおったんだ。助かったぞ。」
 だが、ぼくは思った。これは偶然じゃない。おねえちゃんが、機械類をなぐった――もとい、
「気」をぶつけたから、エンジンがよみがえったのだ。おねえちゃんもそれはよくわかって
いた。自分には不思議な力がやどったのだ。あのペンダントのせいで(!)。
 帰国したあとのおねえちゃんの第一声は、「テレビに出よう」だった。
 ぼくは断固としてことわった。この不思議な力は、世のため人助けのためにしか、使っては
いけないのだ。それが、あのお坊さんののぞみだと信じている。

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